マイノリティを生きる

発達障害の私が、保護猫と共に自然の中で生きていくお話です

猫について

今日の天気は曇り空、時折雨が降っています。

4月になってからも週末は天気がグズることが多く、こんな日はお出かけすることも

めんどくさくなってしまいますね。

 

子どもの頃から、雨の日に出かけることが好きではありませんでした。

足元が濡れると履いている靴下がぐしょぐしょになる感覚がとても苦手で、

家に帰ってから靴下を脱いでもなかなかその不快感から逃れられませんでした。

猫も同様で、体が濡れることがあまり好きではないですね。

雨にもかかわらず、うっかり外に出てしまったなんて時も慌てて家の中に入ってくる

ことがあります。そんな猫についてこのような記事を見つけました。

 

Healthy Day

2021年2月4日の記事から

ペットの猫が自閉症の子どもの症状を改善するとの内容

consumer.healthday.com

 

その理由として

ASDの子どもは感覚過敏があることが多いので、犬が目の前で吠えたりすると、圧倒されてしまう可能性がある。その点猫は傍でただ静かにしていることが多く、感覚に与える影響は犬ほど圧倒的ではない」

とのこと。

 

このことから猫飼い歴46年の私には思い出すエピソードがあります。

 

  もう亡くなってしまったのですが、17年近く共に生活をしてきた思い入れ深い猫がいました。

その子は捨て猫で、拾ってきた時にはすでに生後半年近く経っていました。当時避妊手術をしていなかったので、1〜2年の間に2回ほど子猫を出産しました。幸い全ての子猫はもらわれたのですのが、これ以上猫が増えても困るので結局避妊手術を受けさせました。

しかし、子育て経験を体験していたからか、どこか肝っ玉母さん的な感じがありました。後に拾った子猫のお母さん役も引き受けてくれて、グルーミングなどのお世話をしていたのでまだどこかに母性が残っていたのかもしれません。

そんなある日、私は部屋の中で非常に憂鬱になり、PCデスクの前でじっと座って落ち込んでいました。ふと何気に周りを見渡してみたら少し離れたところにお尻を向けて香箱座りをしている猫の姿に気付きました。その姿はまるで私のことを見守ってくれているかのようでした。

 

「うん、わかっとるよ、あんたの思っていることは私がちゃーんとわかっとるから」

 

なんとなく、そのようなことを言っている雰囲気が感じられました。

 

その時私は、自分の気持ちをわかってくれながら見守ってくれる存在がいるということに深い安堵感を感じました。なぜなら当時の私は人間関係から来る様々な不安に駆られて、眠れなかったり、深夜目が覚めたりして苦しくて辛い時期にいたからです。

「さりげなく」「なんとはなく」付かず離れずの場所でいてくれることが

程よい距離感のある信頼関係を体感させてもらえたのです。

 

人間だとある程度言葉でのコミュニケーションが必要で、それがないと信頼関係を築くことは難しくなってしまいます。発達障害にとって言語でのコミュニケーションには難しさがあります。場合によっては誤解を招くこともあるため沈黙する時も出てきます。しかしそれは返って気まずい雰囲気を与えてしまうだけになってしまい、余計に関係を困難にしてしまうこともあるのです。

 

猫との関係においては、深い沈黙の中にも心の繋がった信頼関係を築くことができることを私はこの猫で体験させてもらいました。

猫は本来あまりお尻を向けることは少ないそうです。

お尻を向けるということは敵に背中をむけるということなので、野生ではそのような行為はしないのだそうです。そんな猫が人間に対してお尻を向けて座るのは信頼しているからできることなのだそうです。

また香箱座りと言うお腹を床にくっつけて前足を体の中に折り曲げて入れている座り方も、すぐに逃げられる体制ではないので信頼関係がないとできないことだそうです。

 

自閉症にとって必要なのは、言葉でのコミュニケーションよりもむしろこのような非言語的コミュニケーションなのではないでしょうか。

特に猫は必要以外あまり鳴かないので、それが程よい距離感のある関係となり、心地のいい関係になっていることが猫を飼うことで養われる信頼体験なのではないでしょうか。

 

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