マイノリティを生きる

発達障害の私が、保護猫と共に自然の中で生きていくお話です

犬について

先程、猫のことを書いたので犬のことも書いておこうと思いました。

 

犬に関しては、自分自身の体験からいうと大型犬はあまり気にならないのですが、小型犬は声が甲高く、神経質で無駄吠えが多い印象があります。これはあくまでも私の個人的主観なので全ての小型犬がそうだとは言えません。

 

◉自身の経験談

親が防犯のために飼った犬がジャーマンシェパードだったのですが、吠える声は大きくて結構すざましい時もありました。しかし普段はあまり無駄吠えはそんなにありませんでした。ただ夜中にどこかの犬が吠えるとか、物音がすると吠えるので大変だった記憶はあります。

あまりキンキンと甲高い声ではなかったので、そこまでは不快感は感じませんでした。自分のところの飼い犬だからそう感じるのかなと思っていたのですが、他の家で飼われていたまあまあ体格のある犬が吠えてもあまり気にはなりませんでした。

小型犬に対して不快と感じた経験があります。一時期近所の家が犬のブリーディングをしていた時期があり、私の家の横にある小さな川を挟んだ向かいの納屋を簡易に改造してダックスとチワワを飼っていました。ダックスは体格の割に意外と声が大きくて高い声なので、吠えられると本当に頭が痛くなるくらい不快でした。また犬自体が音に敏感なので、私が家の中でトイレに出入りするドアの音にも反応して一斉にワンワンと吠え出すので、ものすごくうるさかったです。

 営利目的での繁殖なので、当時人気のチワワやダックスといった甲高い声の小型犬ばかりが40匹ほど、日の当たらない納屋の中に置かれたゲージの中に押し込められて飼われていました。まるで犬のブロイラーのようでした。たまに納屋の外の囲いの中にある屋根付きの庭みたいなところへ複数のダックスが運動のため出されていたのですが、中に押し込められていたストレスからか外に出ると絶えずワンキャンと吠えていたので、うるさいと感じる要因の一つでした。

◉要約すると

甲高い声の犬×かなりの複数×密集した劣悪な環境ストレス=相当うるさい

という負の掛け算です。だから一概に「小型犬=うるさい犬」とは言い切れません。もともと苦手な鳴き声が複数いてしかも全員イライラしていたという条件の重なりが負の相乗効果となっていただけの事です。

小型犬自体の問題というよりも、むしろ劣悪な環境で飼うブリーダー自体の問題が大きかったと思います。子を産むブロイラーみたいに飼われていた犬たちが、環境配慮もされず、愛情も与えられず、日が当たらない狭くて暗いスペースに押し込まれていたのです。むしろそんな飼われ方をされていた犬たちが可愛そうでした。

 

◉結論

本質的には犬は嫌いではない。

特に大型犬に関しては従順だったりよく懐いてくれて個人的には飼いやすかったし、声に関しては大きいけれど低いのであまり気にはならなかった。むしろ、甲高い声の犬に関しては頭に響いて本当に不快だった。

(小型犬のブリーディング騒音体験がトラウマにもなっていることを差し引いてもやはり根本的には小型犬の鳴き声は苦手)

◉まとめ

発達特性から音の過敏性により犬の種類に苦手とOKに分かれる。

・ダックスやチワワなど小型犬→ 声が甲高い→ 嫌いなので懐かれにくい→ 苦手

・シェパードなど大型犬→ 声が低い→ もともと犬は好きだし、声もさほど気にならないので懐きやすい→ OK 

 

追記:ダックス犬を聴導犬として訓練しているのを以前ニュースで見たことがあるので音がすれば吠えるのはそういった特性のある犬なのかもしれません。

猫について

今日の天気は曇り空、時折雨が降っています。

4月になってからも週末は天気がグズることが多く、こんな日はお出かけすることも

めんどくさくなってしまいますね。

 

子どもの頃から、雨の日に出かけることが好きではありませんでした。

足元が濡れると履いている靴下がぐしょぐしょになる感覚がとても苦手で、

家に帰ってから靴下を脱いでもなかなかその不快感から逃れられませんでした。

猫も同様で、体が濡れることがあまり好きではないですね。

雨にもかかわらず、うっかり外に出てしまったなんて時も慌てて家の中に入ってくる

ことがあります。そんな猫についてこのような記事を見つけました。

 

Healthy Day

2021年2月4日の記事から

ペットの猫が自閉症の子どもの症状を改善するとの内容

consumer.healthday.com

 

その理由として

ASDの子どもは感覚過敏があることが多いので、犬が目の前で吠えたりすると、圧倒されてしまう可能性がある。その点猫は傍でただ静かにしていることが多く、感覚に与える影響は犬ほど圧倒的ではない」

とのこと。

 

このことから猫飼い歴46年の私には思い出すエピソードがあります。

 

  もう亡くなってしまったのですが、17年近く共に生活をしてきた思い入れ深い猫がいました。

その子は捨て猫で、拾ってきた時にはすでに生後半年近く経っていました。当時避妊手術をしていなかったので、1〜2年の間に2回ほど子猫を出産しました。幸い全ての子猫はもらわれたのですのが、これ以上猫が増えても困るので結局避妊手術を受けさせました。

しかし、子育て経験を体験していたからか、どこか肝っ玉母さん的な感じがありました。後に拾った子猫のお母さん役も引き受けてくれて、グルーミングなどのお世話をしていたのでまだどこかに母性が残っていたのかもしれません。

そんなある日、私は部屋の中で非常に憂鬱になり、PCデスクの前でじっと座って落ち込んでいました。ふと何気に周りを見渡してみたら少し離れたところにお尻を向けて香箱座りをしている猫の姿に気付きました。その姿はまるで私のことを見守ってくれているかのようでした。

 

「うん、わかっとるよ、あんたの思っていることは私がちゃーんとわかっとるから」

 

なんとなく、そのようなことを言っている雰囲気が感じられました。

 

その時私は、自分の気持ちをわかってくれながら見守ってくれる存在がいるということに深い安堵感を感じました。なぜなら当時の私は人間関係から来る様々な不安に駆られて、眠れなかったり、深夜目が覚めたりして苦しくて辛い時期にいたからです。

「さりげなく」「なんとはなく」付かず離れずの場所でいてくれることが

程よい距離感のある信頼関係を体感させてもらえたのです。

 

人間だとある程度言葉でのコミュニケーションが必要で、それがないと信頼関係を築くことは難しくなってしまいます。発達障害にとって言語でのコミュニケーションには難しさがあります。場合によっては誤解を招くこともあるため沈黙する時も出てきます。しかしそれは返って気まずい雰囲気を与えてしまうだけになってしまい、余計に関係を困難にしてしまうこともあるのです。

 

猫との関係においては、深い沈黙の中にも心の繋がった信頼関係を築くことができることを私はこの猫で体験させてもらいました。

猫は本来あまりお尻を向けることは少ないそうです。

お尻を向けるということは敵に背中をむけるということなので、野生ではそのような行為はしないのだそうです。そんな猫が人間に対してお尻を向けて座るのは信頼しているからできることなのだそうです。

また香箱座りと言うお腹を床にくっつけて前足を体の中に折り曲げて入れている座り方も、すぐに逃げられる体制ではないので信頼関係がないとできないことだそうです。

 

自閉症にとって必要なのは、言葉でのコミュニケーションよりもむしろこのような非言語的コミュニケーションなのではないでしょうか。

特に猫は必要以外あまり鳴かないので、それが程よい距離感のある関係となり、心地のいい関係になっていることが猫を飼うことで養われる信頼体験なのではないでしょうか。

 

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17年間連れ添った猫「レッタ」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログを始めようと思ったきっかけ

 

はじめまして。

私は2019年に発達障害の診断を受けた者です。

50代で診断を受けたので、大人の発達障害ということになります。

大人になってから発症した訳ではなくて、先天的な生まれつきの障害にはなりますが、その当時はまだまだ社会的に発達障害という概念すら存在していないような時代だったので、見過ごされたまま大人になってしまったという事です。


では、私は大人の発達障害というカテゴリーに入るのでしょうか?

大人で発覚したから「大人の発達障害者」ではあるけれど、どこか違和感を感じています。それは大人という社会通念上の意味が違うと感じるからです。

たとえば、就労支援にしてもターゲットは若い大人であって、私のような50代はもはや対象外と感じさせられることが多いです。一概に年齢だけとは言えませんが、障害者でもある程度の才能を求められる部分はあるし、職場に順応しやすいのは若い人が多いでしょう。都市部と地方での違いもあるし、女性よりも男性の発達障害者がメインだと感じることも多いです。

(あくまでも自分の主観ですが)

 大人の発達障害といえども、千差万別で

一概に年代や性別だけでひとくくりにはできないものがあります。しかし、本当に50代女性の発達障害者って一体どこにいるんだろう?と疑問に思うことが多かったというのが実感です。

ネットで探してもなかなか見当たらないし、自分の周りでそのような人はあまりいない。いたとしても自分との等身大からは随分とかけ離れている...

 

それならば、

「自分なりのライフハックを見い出せばいいんじゃないの?」

と考えるようになっていきました。

 自然の中での日常生活と、街中での就労生活。毎日二つの異なる世界を行き来しながら暗中模索しては紆余曲折を繰り返す。

そんな中でもなんとか生きている。

そのことをネットという媒体で伝えていければいいんじゃないのか...


これから先、自分の人生がどのように変わっていくのかはわかりません。

それでも紆余曲折しながらなんとか生きていくことで、同じような生きにくさや苦しさを抱えた人たちと共感できる「何か」をわかちあえるのではないだろうか、と思いました。


テーマとしては、

猫、星、本、絵、写真、自然、花、畑づくり、メンタルケアなどです。

これらを通じて発達障害の私がどのように生きていくのかをお伝えできれば幸いです。

他にも何かネタがあれば、それで書いていくかもしれません。


色々至らないことも多く、読んでいてもつまらないなと感じることがあるかもしれません。


それでも、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。